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| 2001.11.29(木) |
今朝の沖縄関係ニュースで思ったこと 朝のニュースで、対馬丸以外の、沖縄関係戦時遭難船の政府主催による洋上慰霊祭が、初めて行われると言っていた。戦時遭難船というのは、第2次世界大戦で撃沈された民間の船のことだ。対馬丸は学童疎開船で、大戦末期戦禍激しい沖縄の子供達が、親と離れて九州に疎開する途中の海上で、アメリカの爆撃機によって撃沈された。戦争についての正義は、私にはわからない。でも、対馬丸に代表されることを思うだけで、女子供の無思想なセンチメンタリズムと言われようと、胸がいっぱいになって、涙があふれそうになってしまう。 そして戦後50数年たった今、どうして政府が沖縄に対して、政府主催の慰霊祭をやってくれるのだろう。 新聞でその記事を確認した下に、次の小さな記事があった。 以下、琉球新報より。 「トロピカル杯サッカー、テロ影響で延期」 キャンセル相次ぐ 那覇市サッカー協会少年部は28日までに、第5回トロピカルカップ争奪少年サッカー大会の延期を決めた。米中枢同時テロの影響で、他府県チームからの出場キャンセルが相次いだため。 12月22日から3日間の日程で開催予定だった。8月頃までには他府県の16チームの出場の意思表示があったが、9月のテロ以降全チームが出場を辞退した。 子供たちのサッカー大会ぐらい、やらせてやれよ、って思った。 それすら、開催出来ない。 沖縄に来る修学旅行は、すでに20万人近くがキャンセル、予定校の9割以上がキャンセルだそうだ。(←この数字はうろ覚えで自信ないので後で確認する) 個人で沖縄に来る人の数の減り方は、きっとさほどでもないと思うのだけど、団体では「もし何かあった時に、誰が責任を取るのか」ということで、みんな中止になるのだろう。 修学旅行が中止になった学校のインタビューを見た。 「こんな時だから、沖縄に行ってその姿を見せたい」と言う先生と、「大事を取って中止した方がいい」と言う先生と、先生の間でも意見が分かれている、と校長は言っていた。 そして親の意見。「うちはひとり息子なので、学校が沖縄への修学旅行を実施したとしても、子供は欠席させます。絶対に行かせません」 相次ぐキャンセルを受け続けてる、那覇市内の中規模のホテル経営のことを思った。修学旅行などの団体旅行が、収入のほとんどを占めているホテルだってある。 沖縄は、普通に暮らしているよ。 でも、もしテロがあるとしたら、米軍基地のある沖縄。 って思うのは理解できる。 だけど、いつまで沖縄はその危険な基地を受け入れなきゃいけないんだろうね。 ネオパーク(名護自然動植物公園)に行ったことのある人は、これを読んでくれている人の中にもいるかな。動物を檻に入れずに、出来るだけ自然の中において、人と触れさせようという、気持ちのいい場所だよ。 そこの従業員の、半分が解雇されることになったそうだ。テロによる入場者の激減で、ネオパークが今もっているお金は、600万円しかないんだって。 私はダイビングサービスにいなかったとしても、日本に住むなら沖縄に住んでいたと思う。こういう言い方は誤解を招くのかもしれないけど、私は爆弾を落とす側より、爆弾を落とされる側で、世界が見たい。 オサマ・ビンラディンは大富豪で、テロなんて起こさなければ、何不自由なくゴージャスな生活が出来たのだ。テロは悪だ。でも、そうまでしてアメリカにつきつけたことの意味を問うでなく、アフガンに爆弾を落とし続けて、力で制圧して、平和な秩序のある世界が来るのかな。私にはわからない。 という本日の徒然。 意見と言うものじゃないよ。 朝ニュースを見て、思ったことを書いてみた。 きっと東京と沖縄では、ニュースになることも、報道していることも違うんだろうね。 |
| 2001.11.25(日) |
離島の夜遊び 知ってる人は知ってるけど、うちには、中1・13歳の息子がいる。 でもって、うちのサービスはリピーターのダイバーが多いので、子供の大きさが年月を推し量る・・・ってーか、大人はあんまり変わらないのに、他人の子供はすぐに大きくなるのよね。 「初めて来た時には、空(子供の名前)はいなかった。きょーこさんは細かった」 「こないだ来た時は、保育園行ってた」 とかさ。 で、子供の夜遊び。 島にはゲーセンがあるでなし、子供のたまる場所がない。 うちの息子の、夜遊びは、1年上の海んちゅの息子と行く夜釣り。 今はパザラ(オキナワトウゴロウの島の呼び名)が釣れる。 なんだか、るんるんしてリンゴやおやつを持って出かけるあたりがほほえましい。 釣った魚・・・は、もちろんさばき方を本人に教え、調理の仕方も教えた。 そりゃ−、釣り人として当然でしょ。 でも、子供が釣って調理した魚、母が食べないわけにはいかない。 毎夜のパザラの唐揚と白ワイン・・・ はー、母はデブになっていく。 だけど、子供にとっても、親にとっても、島の生活はいい人生なんだわ、って思う。 ショッピングモールも、映画館も、ファーストフードも、本屋もないけどさ。 |
| 2001.11.19(月) |
しし座流星群 しし座流星群を見ましたか? 私は、うちの屋根の上で、震えながら見ました。 でもね、うちの息子が、見たい!って言わなければ、どーせたいしたもんじゃないし・・・って、見なかったと思うのです。 何故だか、彼は「子供の科学」なんてもので情報を仕入れて、力が入っていたんですよ。昨夜は私が先に寝て、夜12時半ぐらいにふと見ると、彼はしっかり起きてる。「どーしたの?」と聞くと、どうしてもしし座流星群が見たいのだけど、一旦寝ると絶対起きないので、ピークの3時過ぎまで起きてる、とのこと。「あのさー、火曜日から期末テストなんだから、寝たほうがいいよ。どうせ曇ってて見えないよー」と言ったんだけど、「絶対見たい。期末テストより、しし座流星群の方が僕にとって大切なんだから・・・」 おいおい、と母は思ったのですが、まぁそれもアリだよね、と思い、「じゃあさ、流星が見える時間になったら起こしてあげるから、とりあえず寝なよ」と寝かせたのでした。 午前2時過ぎ、一応約束だから・・・と、外に出て空を見上げると、わーーー流星。 急いで子供を起こして、屋根に上がり、見ました。 いやー、本当に夜空を流れ星が、ひゅんひゅん飛んでいくんですね。 うす雲がかかってなければ、もっとすごかったのかなぁ・・・ でもね、私、願い事をするのを忘れた。 それと息子に諭された。 「お母さん、大きい流星の度に、ぎゃ−、とかすごーい、って叫ぶのやめて。夜中なんだからね」 はい、沖縄の離島の屋根の上で、流星を見て叫んでいたのは私です。 |
| 2001.11.15(木) |
旅先の約束 昨日に引き続き、旅行バージョンの話題。何分私はカンクン帰りなのだ。 これを読んでる人の中にも、旅先で誰かと写真を撮り、「帰ったら絶対送るからね〜」と言いながら、送らなかったことってないだろうか。焼き増しが面倒、英語で手紙を書くのが大変・・・悪気はないんだけど後回しにしているうちに、結局送らずじまい、ってやつである。 私は大昔、モルディブのリゾートに1年半ぐらい駐在した事がある。 ご存知のとおり、あそこのリゾートでは滞在中のレストランの席が決まっていて、同じウェイターが滞在中サービスしてくれる。 日本人は言葉は苦手でも、けっこう愛想よくウェイターとトモダチになってしまう。写真を撮りあったり、軽い気持ちで「欲しいものがあったら、日本から送るよ」なんて。 で、ウェイターがハネムーナーのカップルに言う。「こっちには、サッカーシューズがないんだ。出来たらサッカーシューズが欲しいな」 「だったら、帰ったら写真とサッカーシューズを送るよ」 ハネムーナーは、こんなに楽しかった旅行で知り合ったハッサンだかアリだかには、豊かな日本から来たボク達が記念になんか贈ってあげよう、と思う。 2ヵ月後、ハッサンが私のところに来る。 「キョーコ、トオルとユーコっていたじゃん」 「へ?誰それ?」 「2ヶ月ぐらい前に、あのテーブルにいたハネムーナー」 「んー、いたかも。で?」 「ふたりが帰ったら、サッカーシューズを送ってくれるって言ったのに、まだ着かないんだ。きっと事故か間違いで着かないんだと思う。キョーコ調べてくれない?」 「どうやって?」 「ふたりに連絡して、いつどうやって送ったのか聞いて欲しいんだ。そしたら、ボクのサッカーシューズが今どこにあるか調べられると思う」 「あのさ〜、送ってないんだと思うよ」 「だって、トオルとユーコは帰ったらすぐに、絶対送るって約束したんだよ。彼らは約束を破ったりしない」 まぁ、なんでもねだってくるスレたウェイターとか、適当な約束しちゃう客とかもいると思う。でも、旅先ではたいがい本気だったのだ。ただ日本に帰ってくると忙しい。買いに行く暇がない、だいたい海外に小包ってどうやって送るんだ? そのうち、まぁいいや、相手だって本気にしてるわけじゃないだろう・・・ でも、ハッサンやアリは結構本気で待っているのだ。 それ以来決心した。 旅先で出来ない約束だけはしない。 スライドが入ってるカメラで、「写真を撮って送って!」 と言われた時、ポジをプリントして送る手間を考える。その辺の関係ない奴だったら、「悪い、フィルムなくなっちゃった」 と言って逃げる。送ってあげたいと思う人には、絶対送る。 しかし最近、マイアミの空港や、グアテマラや、エクアドルで、知り合って世話してあげたり通訳してあげたりした日本人が何人かいる。決まって彼らは言う。「帰ったら、絶対手紙書きますね!!」 彼らから、手紙が来たことはない。 「旅先の約束」 は、きっと特別な約束なのだ。 「旅先の恋愛」と同じくらいはかない。 でもね、これを読んでくれた人は、旅先で出来ない約束はしないでね。 旅の恥はかき捨て、旅の約束は仮の約束。 こんな旅はしたくないし、見たくないよね。 |
| 2001.11.14(水) |
外国のコトバ 学生の頃一番嫌いな科目は、英語だった。 記憶する教科が苦手だったのと、一生使いもしないであろう言葉を勉強する意欲がなかったのだ。その頃、外国なんて果てしなく遠かった。 いや、初めて中学に登校する日、A〜Zまですら言えない私の前で、友人達は得意げに塾であらかじめ勉強していた英語の文章をひけらかした。中学に入学した日から、私の英語に対する劣等感は芽生え、それは、高校を卒業するまで続いたのだった。 外国の言葉を学ぶにはその国の恋人をつくる、っていう定番の話も、ピロゥトークじゃ、簡単な日常会話の域を出ない。 じゃあ、外国の言葉を学びたいという意欲は何から起って、どうやって継続できるんだろう。 25歳からどうしようもなくなって使い始めた英語はおいといて、私の場合のスペイン語の話。 何度もスペイン語圏のカリブや中米に行きながら、ダイビングで行く旅行では全部英語で事は足り、何年もの間挨拶以外のスペイン語なんて知らなかった。大体において日本語を話す私たちがスペイン語を勉強することはすごく困難なことで、近い言葉の君達が英語をしゃべってくれよぉー、といった放漫な考えさえ持っていたと思う。ちょっとしたきっかけは、勉強しようと思えば出来る恵まれた立場にある自分がやるべきだ、と思い知らされたことだ。その間のことを説明すると長くなるので省くが、とにかく勉強しようと思えば出来る基礎の教育を受けて、本屋に行けば語学の本なんて後万と並んでいるのだ。自分の話す言葉すら書けなかったり、読めなかったりする訳じゃない。 そして、継続のご褒美は相手のこぼれるような笑顔と、時々もらう宝石のような言葉。折に触れては思い出して頭の中でころがしてみる。 例えばガラパゴスでダイビングして帰る時、陽気なガラパゲーニョのダイブマスターとバカ話をして、ジョークを飛ばしながらバイバイして、ハグして離れる一瞬、彼は素になって、「Buen viento. Buen mar.」「良い風と、良い海を!」と言って送り出してくれた。旅行者を送り出す決り文句は、「Buen viaje.」「良い旅行を!」だ。同業者にだけ切実にわかる言葉に、ちょっと泣けた。 もちろんスペイン語しか通じない場所を旅行する時に、コトバは必需品なのだが、英語も話せる連中とスペイン語で話していると(往々にして彼らの英語の方が私のスペイン語より百万倍上手いのだが)、時々彼らは素に戻る。その瞬間がとても好きだ。英語は大多数の彼らにとって、よそ行きの言葉で、仕事用の言葉なのだ。私にとってのスペイン語は、仕事にも何にもならない、ただ彼らと話したいだけの、いわば遊びのコトバだ。 とは言っても、怠惰な、アルコールに侵された頭で動詞の活用なんぞをブツブツ覚えるのは、至難の業なんだけど・・・ |